2012年08月27日

「Q43 強い絆と深い絆/こころの子育て」


「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」(朝日新聞社)より。


<森へ>


Q43 親の話など聞いてくれず、絆が切れてしまったようです。

  → 強い絆よりも深い絆で結ばれることを考えたらいいです答え。



子どもとの関係を作る、それを考えるとだいたい、話をするとか、遊びに行くとか、そういうことを考えがち。

でも、河合隼雄さんが言うには、子どもが働きかけて来たときにスッと乗ることが大事だと。「ねえ」と話しかけてきたら、「なあに?」と返す。

話すにしても、遊ぶにしても、親が主導権をとってしまうと、どうしても義務的になってしまう。子どもの気持ちからはズレがちに。


河合先生曰く、絆とはどこかでつながっていること。

でも、それにはマイナス面もある。つながりも強ければ、束縛につながってしまう。

それは「絆し(ほだし)」であって、人の心や行動の自由を縛るものになる。

今、絆の薄さが気になるから絆の強さにばかり気がいくけど、そうすると絆(きずな)は絆し(ほだし)になりやすい。


なので河合先生は、「強い絆」より「深い絆」をすすめる。

絆の糸を長くして、ずっと深めていく。

すると相手は自由になって、遠くにでも行く。遠くには行くけれど、ちゃんとつながっている。

逆に短く強くする人は、結果として、相手をコントロールすることになるようです。


子どもが遠くに行くこと(自分の領域から出ること)を嫌う親御さんもいる。

それは子どものためといいながら、そのおかげで実は親の方が助かっている。支援などを口実に、実は親の方が依存している状態。


子どものすることにいちいち腹が立つのは、親が自分自身を生きてないから。

自分がしっかり生きていれば、子どもを見ても「ああ、生きてるな」と思える。

自分に好きなことがあれば、子どものすることを見ても「ああ、それが好きなのか」と思える。





「短く強い絆」と「長く深い絆」。すごく分かりやすかった。

前者だと、相手が自分の思い通りに動いてないとイライラしがち。

それが後者だと、相手は自由に動いていて、それでいてつながっています。

前者は強いけど硬い。後者は長くてやわらかい。


関係とか、絆とか、こういう考え方も大事ですね。

そして、いろんな問題の背景に、こういうことがありそう。





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posted by 南方城太郎 at 09:15 | TrackBack(0) | こころの子育て

2012年08月23日

「Q42 心身症と文化の病/こころの子育て」


「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」(朝日新聞社)より。


<若葉のころ――思春期>


Q42 このごろ心身症が多いそうですが、なぜですか。

  → 感情を抑えて知に走る現代に特有の「文化の病」なんです。



知的なことへの評価が高まると共に、感情をコントロールして生きるのが素晴らしい、という風になってきているところがある。

腹が立っても知性で抑え、我慢したり、隠そうとしたりする。


それはまったく間違いだというわけではないけれど、感情を抑える力が強くなりすぎると、これはやっぱり困る。

あまりに行き過ぎると、感情と切れてしまうことだってある。

そうなると感情が動かなくなって無表情になったり、感情と体のつながりが切れてしまうことも。

そういう時に心身症になることが多いのだという。


感情と体は本来、関係が深い。

鳥肌が立つとか、涙が出るとか、震えるとか、感情と身体反応が一緒になって動きます。

そういう本来一緒に動くはずのものが、切れてしまう。

そして、こころとも身体とも言えないところが、やられてしまう。

それが心身症だという。


これはある意味、現代的な病気で、文化の病として起こってきている。

なので、個々人や関係のせいだけだとは言えなくて、なかなか難しい。



思春期の女性の心身症としては、拒食症がある。

そしてそこには、身体性の拒否があるという。

女性としての(大人の女性になろうとしている)自分の身体を受け入れられない。

場合によっては、女性に対する嫌悪がはっきり示される場合も。

そんな時は母と娘の関係を考えてみる必要があると、河合隼雄さんは言う。



思春期の性の悩みには、男女差があるといいます。

女性には、性をどう受け入れるかという問題が。

男性には、性をどうコントロールするかという問題が。

それぞれあるようです。





特に日本では「怒り」についてマイナスイメージが大きく、抑えよう抑えようとする傾向があるようです。

でもそうすると、怒らないことでずっとイライラしたり、本来怒るべきところで我慢して、別のところで怒りを発散・爆発することも。

しかも、発散しきれずに、怒りは残ってしまう。


感情はそれに飲み込まれるとなかなか厄介ですが、それそのものに善悪はないわけで、ちょっと考え直した方がよさそうですね。

感情は勝手に湧いて出るもの。そこに善悪はなくて、その後の「付き合い方」とか「表現の仕方」とかで、変わって来るようです。

感情自体のコントロールは、やりすぎると毒ですね。

というか、無理。

だって、勝手に出てくるように、生まれ持ってなってますから。


というわけで、考えるとするならば、抑え込むことではなくて、「付き合い方」や「表現の仕方」について、考えた方がよさそうです。





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posted by 南方城太郎 at 07:56 | TrackBack(0) | こころの子育て

2012年08月20日

「Q41 昔の悩みと現代の悩み/こころの子育て」


「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」(朝日新聞社)より。


<若葉のころ――思春期>


Q41 いまの子どもたちは、悩みなんかないみたいに見えますが。

  → 自分でもわからないほどの深い悩みを抱えていることもあります。



確かに、悩んでないんじゃないかと見える子もいる。

でも一方では、すごく悩んでいる子どもは、「悩んでいる」ということも言えない。

言葉にできない悩みを持っているので、大人には伝わりにくい。


昔の悩みは職業とか結婚とか、具体的だった。

でも、今の子は、根源的な悩みに直面している。

人は何のために生きているんだろう?

私はなぜここにいるのだろう?

そんなことを考え出すと、成績とか就職なんてバカらしくなってしまう。

するとやがて無気力になったり、何事にも否定的になってくる。

ただ、「じゃあ、どうするんだ?」と聞かれると、何も答えられない。


戦争中にノイローゼになる人は、ほとんどいないという。

目の前にせっぱつまった悩みがあるから、いちいち他のことで悩んでられない。

悩みがあることで、深い悩みからは保護されるのです。


人間関係が安定している人、基本的な安心感がある人は、根源的な悩みにぶち当たっても、「とにかく生きてゆこう」と思える。

逆に、そういう支えが弱い場合、たいへんなことに。


ただ、そういう人でも、専門家と話しているうちに、ささいなことに興味が出てきたりする。

そういう時に相手が照れくさがらないように「うん、うん」と聞いていると、元気になって何かやりはじめる。

内面と外面がつながりを持ちはじめ、「人生いかに生きるか」と「いかに生きてみせるか」がつながってくる。


根源的な問題はすぐに答えは出ないけれど、「まず生きなければ」と気づいてきて、悩みを抱えながらも生きてゆくようになる。

また、それでよくって、まずは生きながら、ゆっくりと考えたらいい。





具体的な悩みが解消されてきたから、もっと深い悩みに直面するようになったと。

そういう時が来たのかもしれません。

だから、昔のような悩みがなくなって楽だというだけでなく、もっと他の問題で悩んでいるんだと。

しかも、それは言葉にできないような問題なので、他の人には伝わりにくい。

自分にだって、よく分からない。


そこで頼りになるのが、基本的信頼であるようです。

ということで、赤ん坊の時期って、すごく大事なんですね。

それがすべてとは思わないけれど、大切なこともまた間違いない。

人生の土台になります。


この辺の意識を、個人としても社会としても、持つべきなんでしょうね。






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posted by 南方城太郎 at 15:51 | TrackBack(0) | こころの子育て

2012年08月16日

「Q40 母性と依存/こころの子育て」


「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」(朝日新聞社)より。


<若葉のころ――思春期>


Q40 覚醒剤が中学生にまで広がっているのはなぜですか。

  → 母性が弱かったら他の物に依存するしかありません。



日本人は家族に限らず何となくお互いに依存し合って生きている、と河合隼雄さんは言う。

どこかでは頼り、どこかでは世話しと、甘えたり甘えさせたりする。

これがアメリカだと依存するのは人格的にダメだとされるから、相手に依存しない。

なので、アルコールやクスリに依存しがちだと。


欧米の母性と依存についてのモデルとして、バーリー・ドハティの『ディア ノーバディ』というイギリスの小説が紹介されています。

これははじめ、18歳の高校生ヘレンとクリスの妊娠騒動からはじまる。「ノーバディ(nobody)」と名付けられた、お腹の子。でも、そんな感情にも変化が。そして男の子も女の子もやがて、「母」を探してゆくことになる。



未成年がはやくにセックスする理由を河合隼雄さんは、「母性が十分に満たされてないから」だという。本当はお母さんに抱いてもらいたいところを、代わりに異性に求めていると。



河合隼雄さんはこの回を、以下のようにしめくくっています。


女性が母性をここまで排除せずに、しかも個人として生きうる道があるんではないでしょうか。母性を生きることと、個人として生きることを、両立させる道はあるはずだと、ぼくは思います。

(P183)



ただし、それには男性の理解がないと難しい。





赤ん坊の時に十分依存してないと、その満たされない気持ちは、あとに引きずるようです。

ということは、物心つく前に十分依存することはすごく大事になるわけで、それを大人や社会が十分に知ることは、すごく重要なんだと思えます。

できれば、社会制度の中に、そういうものへの考慮を入れていきたいところ。男女両方に、ですね。


こういった欠如を何らかの代替えで埋めようとする行為は、そこかしこにあるのだと思います。

『ディア ノーバディ』のような例だけでなく、社会運動にだって、それは見られる。

本来、父や母に言いたいことを、社会相手にやったりするわけです。

それには事情があるわけだし、なかなか責められないのだけれど、それで誰かが悪者にされて吊し上げられるケースもあるので、このままでいいとも思えませんね。


本来の相手に言えないがためにおかしなことになっているケースは、いろいろとあるように思います。





ディアノーバディ あなたへの手紙 (いのちを感じる本)





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posted by 南方城太郎 at 18:53 | TrackBack(0) | こころの子育て

2012年08月13日

「Q39 成績は幸せにつながるか?/こころの子育て」


「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」(朝日新聞社)より。


<若葉のころ――思春期>


Q39 成績はよい方が、将来の幸せにつながるのではないですか。

  → 「何番か」でなく「どんな子か」で見ないと幸せは遠いです。



学校のランクが、どこか身分制度のようになっている。

そして、努力したらその身分が手に入れられると思っているところも。

個人差や能力差のことは、あまり考えない。


子どもを勉強の順位だけで見ていると、顔、個性、趣味など、他の大事な部分を見ることを忘れてしまう。

人間の前に順位があって、それだけを見ている形に。

また、同じ成績を見るにしても、国語が得意だとか、算数が得意だとか、理科が得意だとか、そういう個性や将来の可能性も、時には無視されてしまう。

「何番だったの?」ばかりになることも。


「何番か?」ばかりで、「どんな子か」がない。

これが後々どう響くかといえば、人生のどこかで「私は何を生きたのだろう?」と自問することに。

何番か? の評価は外にあるけれど、「私はこれをした」ということが問題に。





どんな子どもだったかを振り返る際、「何番だったか」ばっかりで「どんな子だったか」が出てこなかったら?

それは漫画チックに表現するなら、数字人間や数字仮面であって、中にいる人間がどこかに行ってしまいそうですね。


成績も順位も、それを勝ち取ったことは尊いけれど、それに万能性を持たせようとしても、ちょっと無理なようです。

もちろん、それはすばらしいし、引き下げることはないのですが、「それさえすればすべてうまくいく」なんてものは世の中には無いようですね。

勉強して1番をとっても、そこで得たものをうまく使えないと宝の持ち腐れだし。

使うなら使うで、相手とコミュニケーションをとることとか、どこかで押したり引いたりすることとか、場合場合で使い分けることとか、社会常識とか、いろんな要素が物を言うようになります。

成績はひとつの武器にはなるけど、それ以上でもそれ以下でもないようです。



何番かにこだわるっていうのは、順位に安心を求めているのでしょう。

ということは、親の方に不安があるのかも。

あるいは、価値基準が凝り固まっていて、視野が狭くなっている。


「何番か?」ばかりで「どんな子か?」を見ようとしないなら、突き詰めると、「そこにお父さんやお母さんはいるのか?」ということになってしまいます。

で、そういう場合、ツケはあとで回ってくる。





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posted by 南方城太郎 at 13:03 | TrackBack(0) | こころの子育て