2012年09月27日

「こころの子育て 目次」


「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」(朝日新聞社)より。

それぞれの記事への目次です。



<木のある風景>

「豊かな時代の問題」
Q1 豊かな時代なのに、なぜいろいろ問題が起きるのですか?
  → みんながこころを使うことをわすれているからです。

「母子関係が原因?」
Q2 子育てがうまくいかないのは母子関係が原因でしょうか?
  → 原因がわかっただけでは何の解決にもなりません。

「子育ての不安」
Q3 子どもをちゃんと育てていけるかしらといつも不安です。
  → どういう子育てがいいのか、ぼくにもようわかりません。

「口うるさくなるわけ」
Q4 ついつい子どもに口うるさくなるのはなぜでしょうか。
  → お父さんが「お父さん」をサボっている証拠です。

「母性と個性」
Q5 「お母さん」になると「私」でなくなるようで怖いです。
  → その両方をどう生きるかが、その人らしさなんです。

「世の中は悪くなったか?」
Q6 いまは子どもにとって、悪い誘惑が多すぎませんか。
  → 誘惑に取り込まれない人間に育てることが大事です。


<ふたばのころ――誕生から小学校入学まで>

「赤ちゃんと母子一体感」
Q7 赤ちゃんにとって何が一番大切ですか。
  → 母子一体感、「守られている」と感じることです。

「子育てが嫌になったら」
Q8 子育てが嫌で仕方ありません。どうしたらいいですか。
  → そういう気持ちを、まずじっくり聞いてもらいましょう。

「親としてのカン」
Q9 いまの子育てで気になることといったら何でしょうか。
  → 親としてのカンを磨くのをサボりすぎていることです。

「イライラして叱ってしまう」
Q10 イライラして叱ってばかりいます。どうしてでしょうか。
  → 親が不安になっているか、ちょっと期待が高すぎるからです。

「手出し口出しする前に」
Q11 「早くしなさい」「それはダメ」と、小言ばかり言っています。
  → 手出し口出しする前に、五秒待って様子を見るんです。

「思い通りにならないのは」
Q12 思い通りにならないのは、育て方が悪いからですか。
  → 生きているんだから思い通りになるはずがないです。

「どうしても叩いてしまう」
Q13 言うことを聞かないと、どうしても叩いてしまいます。
  → 親子だけで閉じてしまわない工夫や努力が大切です。

「ボーッとしている時」
Q14 ボーッとしていることがよくあります。心配ないですか。
  → そのように見えるときこそ、こころが育っているんです。

「ストレス信号が出た時」
Q15 「ストレス信号」が出たときは、どうすればいいでしょう。
  → いつもより大目に見てやって、見守っていれば大丈夫です。

「甘えと自立」
Q16 甘えん坊なので「自立できないのでは」と心配です。
  → 十分に甘えさせてやったら、ちゃんと自立していきます。

「サンタクロースはいるか?」
Q17 「サンタクロースはいない」と、いつ教えたらいいですか。
  → わざわざ教えることはありません。自分で気がつきます。

「早期教育はプラスか?」
Q19 早期教育は子どもにプラスですかマイナスですか。
  → 就学前に大切なのは勉強ではない、自由な遊びです。

「死について聞かれたら」
Q18 「死」については、どのように教えるのがよいでしょう。
  → もう、自分が思っていることを言うしかないですね。



<新芽のころ――小学校時代>

「ほめるということ」
Q20 「ほめるのが大事」と言われますが、どうも苦手です。
  → わが子のよいところを五つ考えてみたらどうですか。

「自立と不安」
Q21 10歳なのに、ひとりで寝るのを嫌がるようになりました。
  → 自立は不安を伴います。親の後ろ楯を確かめたいのです。

「10歳の自我体験」
Q22 四年生のころから、描く絵がつまらなくなりましたが。
  → 「自分」に目覚め、おとなの真似がしてみたい時期です。

「子どもと動物」
Q23 子どもが動物を飼いたがるのは、どうしてでしょう。
  → 動物は親なんかより自由な生き方をしているからです。

「個室を与える年齢」
Q24 個室を与えるのによい時期というのがあるでしょうか。
  → 「わが家の憲法」で「個室は何歳から」と決めるんです。

「父親としての接し方」
Q25 父親として子どもにどう接したらいいのかわかりません。
  → 普段は「まるごとの自分」、怒るときは「雷のち晴れ」です。

「子どもが学校に行きません」
Q26 子どもが学校に行きません。どうしたものでしょうか。
  → せっかく行かないのだから「チャンス」と思ってください。

「いじめにあった時の対応」
Q27 子どもがいじめにあったときの対応を教えてください。
  → 冷静な判断と、絶対退かない毅然とした強さが必要です。

「個性とは?」
Q28 「個性」とか「個性的に生きる」って、どういう意味ですか。
  → 確実でないこと、数字に表わせないことに賭けることです。

「思春期までの貯金」
Q29 思春期までに親としてやっておくべきことは何ですか。
  → 「ああおもしろかった」という体験を貯金しておくことです。



<若葉のころ――思春期>

「無口になるわけ」
Q30 中学生になって急に無口になるのはどうしてですか。
  → 言葉にならないくらいのすごい体験をしているんです。

「子どものすることが受け容れられない」
Q31 子どもがしていることがどうしても受け容れられません。
  → そういう状況を、親も一緒になって作ってきたわけです。

「親の心と子の心」
Q32 同じ苦労を子どもにはさせまいという思いが通じません。
  → 「自分が考える幸福」を押しつけても役に立ちません。

「子が親と反対のことをするわけ」
Q33 子どもが親と反対のことをするのはなぜですか。
  → 親の盲点だからです。反抗なしの成長はありません。


「子どもが悩んでいる時」
Q34 子どもが悩んでいるとき、どうしてやったらいいですか。
  → 「さなぎ」の時期は、そっとしておくのも大事です。

「キレそうと言われる」
Q35 「キレそう」「カンケーねえよ」と言われてしまいます。
  → ただ怒鳴りあうのではない、「本当の対決」が必要です。

「相手の言うことを聞く」
Q36 思春期の子どもと対話するときのコツはありますか。
  → 「相手の言うことを腹を据えて聞く」という気構えです。

「校則は必要か?」
Q37 校則についていろいろ意見がありますが、必要でしょうか。
  → 規則の前に「ひと」が立っていれば、あって賛成です。

「反省癖」
Q38 実際に問題が起こってしまったら、どうすればいいですか。
  → 反省ばかりするのはやめて「これから」を考えることです。

「成績は幸せにつながるか?」
Q39 成績はよい方が、将来の幸せにつながるのではないですか。
  → 「何番か」でなく「どんな子か」で見ないと幸せは遠いです。

「母性と依存」
Q40 覚醒剤が中学生にまで広がっているのはなぜですか。
  → 母性が弱かったら他の物に依存するしかありません。

「昔の悩みと現代の悩み」
Q41 いまの子どもたちは、悩みなんかないみたいに見えますが。
  → 自分でもわからないほどの深い悩みを抱えていることもあります。

「心身症と文化の病」
Q42 このごろ心身症が多いそうですが、なぜですか。
  → 感情を抑えて知に走る現代に特有の「文化の病」なんです。



<森へ>

「強い絆と深い絆」
Q43 親の話など聞いてくれず、絆が切れてしまったようです。
  → 強い絆よりも深い絆で結ばれることを考えたらいいです答え。

「悩んで結論が出ない」
Q44 悩みはじめると迷ってばかり。さっぱり結論が出ません。
  → 葛藤を続けられるというのが「おとなの条件」です。

「夫婦と二本の杭」
Q45 衝突ばかりしていますが、親子の相性が悪いのでしょうか。
  → 夫婦で解決すべき課題がないか、点検したらどうですか。

「子育ての目標は?」
Q46 子育ては何を目標にしてやっていけばいいですか。
  → 「自分の人生を生きられる人間」に育てることです。

「子育てのゴールは?」
Q47 子育てにゴールがあるとしたら、それはいつでしょう。
  → 子どもが本気の恋愛をしたら、親の役目もひと段落です。

「家族で暮らすということ」
Q48 どうして家族が一緒に暮らすことが大事なのでしょう。
  → 家庭は受け容れがたいことを受け容れる「家族禅」の道場なんです。



<おわりに>

「自己実現と子育て(前編)」
  自己実現か? 自我実現か?

「自己実現と子育て(後編)」
  子育ては自己実現に近い。





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posted by 南方城太郎 at 13:48 | TrackBack(0) | こころの子育て

2012年09月24日

「自己実現と子育て(後編)/こころの子育て」


「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」(朝日新聞社)より。


<おわりに>


自己実現と子育て


河合隼雄先生は、子育てを自己実現だと考える。

なぜかというと、子育てはこころと身体、人間全体を使わないとできないから。


子どもはよく、大人から見れば理屈に合わないこと、不可解なことをする。

それは自己実現とそっくりで、思うようにならない子をどう受け容れるか、ということ。

どうしてこんな子なんだろう? ではなくて、この子と どう生きていこうか? ということ。


その第一歩は、「起こってきたことは自分のことだ」と受け容れることだという。

誰が悪い何が悪いではなくて、しっかり受け止める。

今まで知らなかった自分も、認めたくない自分も、受け容れる。

怖ろしいことも苦しいことも、自分のことだと受け止めていく。

それが自己実現だと。


自己実現には、犠牲がつきものだという。

なぜなら、「ひとつのことをする」ことは「(別の)あることをしない」ことだから。

子どもを尊重すれば、自分のことが犠牲になる。

自分を中心にすれば、子どもが犠牲になる。

この犠牲を意識するのが、大切になります。

嫌々するのでも無視するのでもなく、そこにある意味を考える。

そうすると、喜びも出てくるという。


自己実現を本気でやっていると、他人との関係も考えざるを得なくなる。

誰かのためにとか、社会のためにとか、最終的には世界を考えるようになる。


人は一生をかけて、「その人になる」という仕事をするという。

それは終わりがないので、ユングは「自己実現の過程」とか「個性化」と呼んだ。

何になるか、どんな道を歩むか、それは分からないけれど、だからこそ、自我実現でない自己実現だと言えるようです。





子育ては自己実現のようなものだ。

これはまた、逆も真なりですね。


人間の中には、子どものような存在がいると。

自我から見れば理屈に合わず、時に不可解なことをしようとするし、自分の好みではないはずのものに惹かれたり、急に元気になったかと思えば急に力をなくしたり、なかなか思い通りにならない。

けれど、やっぱり、オモシロイ。

自分のようで自分ではなく、離れようにも離れられない。

時々、思いがけないことをして、驚かせたりもする。

問題も起こすけど、考え直すきっかけもくれる。


ケッタイだけど、かけがえのない存在ですね。


子育ても、自己実現も、終着点は分からないし、一生をかけてやるものかもしれません。

そこで何を得たかを感じるのは、最後でもいいのかもしれない。





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posted by 南方城太郎 at 12:35 | TrackBack(0) | こころの子育て

2012年09月20日

「自己実現と子育て(前編)/こころの子育て」


「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」(朝日新聞社)より。


<おわりに>


自己実現と子育て


「自己実現」という言葉はなじみになったけれど、それが誤解されている面も。

世の中で言われているのは、まるで「自我実現」や「利己実現」。


自我実現というのは、自分がやりたいことを意識してやること。夢の実現なども、これにあたる。

それはそれで素晴らしいことだけれど、自己実現とは違います。


自己実現(個性化)というのは、ユングが考えた概念。

西洋社会では特に、自我の確立というのが大切になる。

けれど、いくら自我を確立しても、「中年の危機」といわれるような症状に悩まされる人がたくさん出てきた。

そんな時に、不安に立ち向かうのが、自己実現。


どんなに成功していても、社会的地位があっても、それまで問題なく暮らせていても、中年の危機が訪れることはある。

ユングによれば、適応していることこそが彼らの悩みだという。

「次にどうしたらいいんだろう?」「本当は何をしたいのだろう?」、そんなことを考えてしまう。

時には、「死んだらどうなるんだろう?」とまで考える。

こういったこと全部ひっくるめて、こころの全体まで含めて納得するのが、ユングのいう自己実現だという。


ユング心理学では、意識の中心に「自我」があると考える。

それに対して、無意識も含めたこころの全体の中心として、「自己」という概念がおかれている。

意識してやるのが、自我実現。一方、自己実現は、無意識という訳のわからないものまで含めているので、本人にも周囲にも、よく分からない。

むしろ、自我は振り回される。

自我が破壊されそうになることさえあるから、自我が一度死んで生まれ変わるような、「死と再生」のモチーフまで出てくる。

無意識がしたがることというのは、自我にとって脅威であることも少なくありません。





意識して目指すのが、自我実現。

自分の利益だけを考えるのが、利己実現。

無意識をも含めた人間全体の可能性を具現化するのが、自己実現。


なので、自己実現は自我にとって、どこか「やらされている」部分も生じる。

無意識的な衝動や運命のようなものにも導かれるので、そういうことになりがちです。

例えば、躊躇していたところを踏む込むとか、抑えきれなくなって従うとか。

なので、それまでの生活を破壊してしまうことも少なくない。

やり方を間違えると、相当危険です。


無意識は言葉を持たないので、ここがやっかい。

象徴という意味を知っておかないと、自我は誤解してしまいます。

例えば、「死」というのは実際の生物的な死だけではなく、何かを捨てるとか、何かを止めるとか、そういうことも含まれる。

多くは、「今までが死んで新しく生まれ変わる」といった意味を含んでいることが多い。

なので、「実際には死なずに、どう死ぬか?」、こういうのが大事になって来ます。

命は落とさずに、命は失わずに、それでいて、それに近い経験をせねばならないわけです。


というわけで、自己実現は「いかに実現するか?」というのが大切になります。

間違えると、単に破壊的なだけになる。

けれど、途中で幾分かの破壊的なものを含みながら、それまでにないものを生み出すといった、そういう可能性も包含しているわけです。





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posted by 南方城太郎 at 07:58 | TrackBack(0) | こころの子育て

2012年09月17日

「Q48 家族で暮らすということ/こころの子育て」


「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」(朝日新聞社)より。


<森へ>


Q48 どうして家族が一緒に暮らすことが大事なのでしょう。

  → 家庭は受け容れがたいことを受け容れる「家族禅」の道場なんです。



河合隼雄先生は、家族を木に例えています。

実がなればやがて、離れていく。

子どもが育って離れていくのと同じですね。

それと、育つ前に離れると困るのも、似ている。


同じ家族に生まれるというのはもう、運命みたいなもの。

理由なんてない。

結婚には意志的な面と運命的な面、両面あって、決められると共に、やめることもできる。

でも、親子関係というのは、そうもいきません。

さらにそこに兄弟という関係まで加わるのだから、複雑です。

兄弟間には互いに受け容れにくい要素があったりして、だからここで、受け容れにくいものを受け容れていくという、社会に出て行くための練習をすることになる。


子どもに問題が生じると、「学校が悪い」「友達が悪い」と言いたくなるけど、家族のことも考えざるを得なくなる。

母子関係は無視できないし、夫婦関係だって無視できない。

それをせずに、目に見える、言いやすいことだけ責めても、仕方がない。


それはまるで、家族内の禅問答だという。

おまえは何か? ということを、子どもは様々なカタチで問いかけてくる。

はじめは困った子どもを何とか変えたいと思うかもしれないけど、カウンセリングなどに関わると、自分がどう変わるか? を家族の各人が考えるようになる。

そういう意味で、問題というのは変容のチャンスでもあると。


自分のようで自分ではない存在を、どう育てるか?

自分だけではどうしようもなくて、しかも、責任を負わないわけにはいかない。

そんな中で、他に代わりのきかない、唯一の存在が育つ。

それはユング心理学でいう「自己」のようなもので、故に子育ては、自己実現に似ている。





自分で決められない以上、家族の一員として生まれるのは、運命のようなもの。

ああだったら、こうだったらと、想像したり願ったりはできますが、基本的にどうしようもありません。

もう、前提とするしかない。

ただ、そこに意味は見つけられるかもしれませんね。


人間は表面的な問題に右往左往されるけれど、その奥に何が隠されているかは分からない。

それは一見、ピンチかもしれないけど、踏み込めば、変わるチャンスかもしれない。

だいたい人は自分が変わりたくないので、人が変わることを願うけれど、各人みんな、どこか変えなければならない時期が来る。

変わることを嫌がる限り、それは苦難だけど、では、変わることを受け容れた時、どうか? ということ。


問題のちょっと奥にあるものさえ見えれば、また違ってきそうですね。

また、ちょっと奥にあるものが出てくるには、ちょっと待つ姿勢が必要。





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posted by 南方城太郎 at 13:20 | TrackBack(0) | こころの子育て

2012年09月13日

「Q47 子育てのゴールは?/こころの子育て」


「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」(朝日新聞社)より。


<森へ>


Q47 子育てにゴールがあるとしたら、それはいつでしょう。

  → 子どもが本気の恋愛をしたら、親の役目もひと段落です。



昔だと元服があったりと区切りがあったけど、現代では ハッキリとした線引きがなくなっている。

ただ、子どもが本気の恋愛をしたら親の役目もある程度終わったと言えるのではないかと、河合隼雄さんは言います。


ただ、子どもが親の気に入らない相手を連れてくることがある。

それは、親が今までやってきたことの総決算ともいえるのだという。

(意識したのかどうかは別にして)親とは違った相手を選んだのだと。

そういうのが分かったら、なかなか文句だけ言うわけにはいかない。


あまりに関係が密着していると、裏切りによってしか離れられないという。

離れるにはそうする他なくなる。

それが人生の悲壮なところだけれど、それが分かったらあとで関係は回復するともいう。

必要以上に密着するから、相手は裏切らざるを得なくなる。

それが分かって距離をとると、裏切られることもなくなる。


逆に、一体感を十分に経験できなかった場合、それを異性との関係に求めることも。

ただ、それだと、恋愛関係の中に親子関係が入ってくる。

なので、相手が耐えられなくなってしまう。


恋愛では、不可解なことがよく起こるという。

理屈を超えていて、いろんなものに動かされる。





それがいいと思えば同じものを選ぶけど、違うと思えば違うものを選ぶというわけか。

目に見えないツケが、総決算で露呈します。


くっつきすぎれば離れようとするし、ほどほどの距離だと離れる必要もない。

それが分かれば落ち着くけれど、逆に言えば、分かるまでは落ち着かない。

頑ななのが、人間でもあるしなあ。


総決算という言葉は、重くて意味深いや。





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posted by 南方城太郎 at 08:13 | TrackBack(0) | こころの子育て