2013年02月28日

「(9) 飽きるくらいが健康でいい?/アワビさん」

絵のないマンガシリーズ「アワビさん」。


<健康病が心身をむしばむ>



<登場人物>


アワビ:天真爛漫な奥さん。ちょっと、オッチョコチョイ。

ツナオ:アワビの歳の離れた弟。小学5年生。トンチがきく。

サケオ:アワビの夫。やさしいが、優柔不断?

コンブ:アワビやツナオの妹。

コマちゃん:アワビとサケオの息子。コマイ。

なぎ平:アワビやツナオの父。

ソウ:アワビたちの母、なぎ平の妻。



ツナオ:

「どうしたの姉さん、フラフープなんか持ち出して」


アワビ:

「知らないの?」

「今、フラフープ健康法が流行ってるのよ」


ソウ:

「また、おまえは、そんなことに熱中して…」


ツナオ:

「ぼくは心配してないよ」

「どうせ飽きるの、知ってるから」


物置には、ルームランナー、ぶら下がり健康機。

その奥には、スタイリーや紅茶きのこまで。







ダイエットにしても、健康法にしても、我々はけっこう飽きっぽかったりしますが、それはそれで健康的なのかもしれませんね。


(1) 徹底的にやらないと危ない時もある。

(2) そうでもない時は、ゆるくても問題ない。


置かれている状況によって、いろいろなようです。


必要なら やらねばならないし、

そうでもなければ、ほどほどでいい。


自分がどんな状態なのか、それを知ることが大事なようです。




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posted by 南方城太郎 at 17:59 | TrackBack(0) | アワビさん

2013年02月21日

「(24) ○○が第一という病気/こころの処方箋」

河合隼雄 著「こころの処方箋」(新潮社)より。


<健康病が心身をむしばむ>


河合隼雄先生が、「健康病」というものを紹介してくれています。これは、ともかく健康第一ということで、他のことはまったく無視してしまうような状態のこと。

何よりも健康が第一となり、○○がよいと聞くと追いかけ、そればかりになる。逆に、××が健康に悪いと聞くと、目の敵にし、徹底的に排除する。とにもかくにも、極端で、融通が利かない。こうなると、ギスギスしてきて、食事も楽しくありません。

さらに、この健康病は、伝染性を持つという。健康病の人は、とかく健康法を人に勧めたがるものです。自分が好きでやっている分にはいいのですが、人に勧めることで他人の領域に侵入してしまい、相手をウンザリさせてしまう。



物事というのは、よい面も悪い面も、両方含むようです。功罪、併せ持つ。そしてこれは、食べ物や運動だって、同じですよね。健康によいといわれるものでも、極端にやりすぎると、かえって健康を害する場合があります。逆に、健康に悪いといわれるものでも、ほどほどなら問題なかったりする。

食べ物にしたって、どんな食材にも、多少 健康によくない要素は含まれていると思われます。ただ、それは微量なものなので、特に問題にしてない。また、普通の食生活を送っていれば、問題になることもないと。

ところが、健康病にやられると、この微量に対し、過剰に反応してしまうことがあります。ふつうに食べている分には問題なかったり、あるいは調理の仕方で大丈夫だったりするのに、それを無視して、その食材を否定してしまう。

微量な害のある要素に注目することで、他が見えなくなってしまうのです。問題なくする方法が、いくらでもあるのに。そしてそのために、本来得られるであろう、健康的な要素を摂取する機会を失ってしまいます。



気をつけるのは大事であるにしても、過剰に気にしていたのでは、かえって不健康な気さえします。ギスギスしたり、不安になったりと、特に心の健康が害されそう。

だいたい、過剰に気にすれば他に対する注意が薄れるので、別のどこかで問題や不具合が生じそうです。

どうも、健康病というのは、心の不健康とつながりやすいようですね。そしてそれは、「認識」や「認識力」というものに、関係しそうです。認識の仕方が、どうも極端だというわけ。


いきすぎた○○が第一は、視野が狭くなっている状態。この時、「場合場合」「ケース・バイ・ケース」ということを忘れると、場にマッチしない選択をしてしまいそうですね。


人間、集中することも大事ですが、そればかりになるのも危ない。

時には顔を上げてキョロキョロし、まわりを見た方がいいようです。

そうすれば、周囲とのズレや、道から外れてるかどうかも、確認できます。

まあ、何事も、ほどほどにということで…。





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posted by 南方城太郎 at 14:20 | TrackBack(0) | こころの処方箋

2013年02月18日

「こころの処方箋 目次 (1/3)」

新潮社「こころの処方箋」(河合隼雄 著)より。

それぞれの記事への目次です。

このページは、(1)〜(18)まで。



(01) 人の心はわかるか?
 → <人の心などわかるはずがない>
   心理の専門家は、人の心が分かる人ではない。
   分からないから、ようく見てみる。

   <分からないことを分かろう>


(02) ふたつよいこと さてないものよ
 → <ふたつよいこと さてないものよ>
   いいことばっかりじゃない、でも、悪いことばっかりでもない。
   よく見てみると、両方がある。

   <それを認めた上で、選ぼう>


(03) 正しい忠告は役に立たない
 → <100%正しい忠告は まず役に立たない>
   その人に関わり、いろいろと考えるのが大事。
   そこには自分を賭ける姿勢がある。

   <忠告する時は、関わる覚悟を持って>


(04) 絵に描いた餅
 → <絵に描いた餅は 餅より高価なことがある>
   実際ではないことも評価してもいいのでは?
   心の中にある絵に描いた餅は?

   <意外とイイものの価値と発見>


(05) 理解ある親?
 → <「理解ある親」をもつ子は たまらない>
   本人にも訳が分からないということはある。
   子は親という壁にぶつかって、成長する。

   <言葉にできないこともある>


(06) 我慢と自己主張とその先
 → <言いはじめたのなら 話合いを続けよう>
   自己主張と聞くことはセット。
   「我慢する」から「話し合う」へ。

   <キレない工夫>


(07) 日本と世界と国際性
 → <日本人としての自覚が 国際性を高める>
   日本のことを考えるのだけではなく、
   世界のことを考えるのだけでもない、
   そんなつながりを意識した感覚。

   <地球人で、日本人>


(08) 心の自然と自然破壊
 → <心のなかの自然破壊を防ごう>
   人間の中の自然があまりに害され、
   不自然になると、
   人間はやられてしまう。

   <体や心の声>


(09) 理想と灯台と難破
 → <灯台に近づきすぎると難破する>
   理想像を持つのはいいけれど、
   あまりに近づいたら要注意。

   <目標に手が届きそうな時>


(10) イライラの原因と見通しのなさ
 → <イライラは見とおしのなさを示す>
   本当は自分の中の何かに、イライラしているのかも。
   相手に気になることが、自分の中にもないだろうか?

   <相手の中にある自分に気づく>


(11) 我慢しているのに勝手だと言われる
 → <己を殺して 他人を殺す>
   自分を殺そうとしても、全部殺せるわけじゃない。
   そいつは肝心な時に、顔を出してくる。

   <する・しないじゃない、付き合い方>


(12) 努力が報われない理由
 → <100点以外はダメなときがあるす>
   平均点以上というだけでは、通じない場面がある。
   でも、逆にいえば、ふだんはそこそこでよくて、
   大事な場面で力を出せればそれでいい。

   <力の入れどころ>


(13) 真面目も休み休み
 → <マジメも休み休み言え>
   何事も偏ると、バランスを崩しがち。
   「言う」には「聞く」がセットで。

   <オフがあると、オンは活きる>


(14) したいことは したらいい
 → <やりたいことは、まずやってみる>
   できない理由を考えがちだけど、
   やってみると意外とできるかも。

   <試してみる価値>


(15) 180度の変化、風と風見鶏
 → <一番生じやすいのは 一八〇度の変化である>
   「する」と「しない」になりやすい。
   「やり方」や「あり方」はあまり注目されない。

   <強すぎると、方向転換が難しくなる>


(16) 51対49の心と逆転現象
 → <心のなかの勝負は 51対49のことが多い>
   頑なな態度の奥にある、反対のもの。
   じっと待ってると、何か出てくる?

   <ちょっと奥にある心の声>


(17) ウソで誠を生み出す
 → <うそからまことが出てくる>
   ウソもつき続けると、本当になる?
   でもそこには、難しさも。

   <褒める練習を>


(18) どうして説教するのか?
 → <説教の効果は その長さと反比例する>
   説教と心の健康。
   しないためには、どうすればいい?

   <モヤモヤの処理>




こころの処方箋 (新潮文庫)





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2013年02月14日

「(8) 心のエネルギー源/アワビさん」

絵のないマンガシリーズ「アワビさん」。


<心の新鉱脈を掘り当てよう>



<登場人物>


アワビ:天真爛漫な奥さん。ちょっと、オッチョコチョイ。

ツナオ:アワビの歳の離れた弟。小学5年生。トンチがきく。

サケオ:アワビの夫。やさしいが、優柔不断?

コンブ:アワビやツナオの妹。

コマちゃん:アワビとサケオの息子。コマイ。

なぎ平:アワビやツナオの父。

ソウ:アワビたちの母、なぎ平の妻。




ツナオ

「姉さんは、いつも元気だねえ」

アワビ

「そうよ! 今日も元気ハツラツ!」

ツナオ

「どこからそんなエネルギーが出るのさ」

アワビ

「私のエネルギーは、コマちゃん」

「それに、サケオさん」

「家族を想うと、どんな時でも、元気になるわ」

ツナオ

「そんなもんかね」

アワビ

「ツナオも、家族を持てば分かるわよ」


と、そこに焼いも屋さんが通りかかった。


アワビ

「それ〜!」


急いで買いに走る、アワビ。


ツナオ

「姉さんのエネルギー源は、あれか…」







自分の趣味じゃないものに熱中している人を見る時、冷ややかになることがあります。

何か言いたくなることもある。


でも、考えてみると、そういう「それぞれの好きなもの」から、エネルギーをもらってるのかも。

それで元気になれるなら、それはそれで悪くない。

確かに、好きなものについて語る時って、誰だって楽しそうで、エネルギッシュだ。

それって、すごく大切なのかもしれないなあ。


そういうことでエネルギーが得られ、日々を元気に過ごせるなら、すごく尊いかも。

あと、お金を使うことで、経済だって活性化するかもしれないし。




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posted by 南方城太郎 at 11:52 | TrackBack(0) | アワビさん

2013年02月07日

「(23) 心のエネルギーと鉱脈/こころの処方箋」

河合隼雄 著「こころの処方箋」(新潮社)より。


<心の新鉱脈を掘り当てよう>


心のエネルギー云々ということが、時々、語られますよね。

それについて河合隼雄先生は、こんな例を挙げてくれています。

同じイスに座るにしても、ぼ〜っとひとりで座っているのと、誰かを前にしているのとでは、全然違ってくる。それはなぜかといえば、体は同じことをしていても、使う心のエネルギーが違うから。


確かに、人と接すると、(もちろん、性格にもよりますが)何らかのエネルギーを使いそうです。そして、そんなエネルギーを使うことに疲れてしまうと、何とか節約できないかという風になってしまう。

一番手っ取り早いのは、人と会わないことです。でも、これは難しい。なので今度は、エネルギーを使うことを惜しむようになりがち。ちょうど、蛇口をしめて、水があんまり出ないようにするような感じで。

笑顔を惜しみ、おしゃべりを惜しみ、必要最低限のことだけをするように心がける。でも、これでエネルギーが節約できたのかといえば、そんなに変わらないような気がする。以前と同じように疲れ、別に元気になるわけでもない。

逆に、いつもエネルギッシュな人もいます。積極的に人と接し、いつも元気にあいさつ、すすんで人の輪の中に入っておしゃべりし、仕事もちゃんとこなす。何かにつけ元気で、まるで疲れなど知らないかのよう。



一般的なエネルギー(ガソリンや電気など)は、移動可能です。こちらで使う分を減らして、あちらで使う分を増やそう、というのができる。節約すればそれだけ余るので、それを別のところで使うことが可能です。

でも、心のエネルギーはどうだろうか?

趣味に使っていた分を減らし、その分、仕事に投入する。そんなことは、可能だろうか? 仕事が効率的に進んだり、やる気が持続したりするだろうか? 気力が充実するよりは、かえってイライラしそうな気もします。

逆は、どうだろう? 趣味にエネルギーを使ったからといって、仕事が疎かになるだろうか? 確かに、寝る間も惜しむほど のめり込むと、影響が出るかもしれない。でも、ほどほどなら、どうだろう? 趣味を持つようになって、仕事も充実してきたという話はよく聞きます。

そこまではいかなくても、趣味も仕事も、両方とうまく付き合っている人もいる。趣味でエネルギーを使っているはずなのに、仕事でも元気です。逆に、趣味などでエネルギーを使うことを惜しみながら、いつもだるそうに見える人もいる。

このようなことを考えると、心のエネルギーというのは、一般的なエネルギーと同等には扱えないことが分かります。節約したからといって、必ずしも他に回せるわけではない。

その理由として、河合隼雄先生は、人間が「もの」や「機械」ではなく「生き物」だからだと説明してくれています。



河合先生は、心のエネルギーの源を「鉱脈」と呼んだ。鉱脈が1つだけだと仮定すると、なるほど、限りあるエネルギーを有効に使うために、節約しようかという気にもなります。でも、実は鉱脈が1つだけとは限らず、新たな鉱脈を掘り当てるのもまた可能だという。

新たな鉱脈を掘り当てると、今よりエネルギーを得ることができる。それは例えば、趣味。新たな趣味と出会うことで、エネルギーを得る。心身が充実してきて、以前より元気になることも。

あるいは、人と出会ったり新たな家族ができることで、エネルギーを得ることもあるでしょう。いろんなところで、やる気が出たりする。また、よい本、映画、写真、音楽など、そんな鉱脈を掘り当てることで、エネルギーが得られることも、あるかもしれない。


心のエネルギーを節約する時、同時に、新たな鉱脈を探すことを放棄してしまっている場合がある。あるいは、今ある鉱脈だって、使わなさすぎて活性化されず、萎んできている場合も、あるかもしれない。

逆に、エネルギーを使っていても、新たな鉱脈を掘り当てることができれば、使えるエネルギーはむしろ増えるかもしれない。また、今ある鉱脈も、エネルギーを使うことで活性化し、使いやすい状態になるかもしれません。

そんなことを考えると、あまりにエネルギーを出し惜しみすると、かえって損するのかもしれないということに。確かに、エネルギーを節約しているのに、いつも疲れたような顔をしている人がいたりします。エネルギーを使っている人の方が、どこか元気があったりとか。


ということで、心のエネルギーというのは、「使う」「使わない」だけでなく、「うまく使うこと」こそ、大事なのかもしれませんね。





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posted by 南方城太郎 at 12:00 | TrackBack(0) | こころの処方箋