2013年07月03日

「(1) 篠山時代/河合隼雄 自伝より」

河合隼雄 著「未来への記憶 ――自伝の試み――」(新潮社)より。


河合隼雄 自伝(1) 篠山時代


生まれは篠山(兵庫県多紀郡笹山町)。


父は田舎の庄屋の次男坊。

家を出て京都で弁護士を目指すが、後に歯科医を目指し、資格を取る。

奈良県の松山(現在の大宇陀町)で見習いをし、その頃に小学生の先生をしていた隼雄の母と出会う。

母親も田舎の人だったけど、同時に、モダンな人だったらしい。

当時としては珍しく、母親の方が4つ年上とのこと。

婚約の後、東京歯科医専(歯科医学専門学校)で1年勉強する。そして、結婚。丹波篠山で、歯科医を開業することに。

その歯医者さんが流行って、経済的に安定した。


百姓の次男として育った父は長男とかなり区別された体験から、自分の子どもたちは絶対に区別しないと宣言していたという。


河合隼雄さんは、6人兄弟の5番目。

上から、仁(ひとし)、公(ただし)、雅雄(まさお)、迪雄(みちお)、隼雄、逸雄(いつお)。

ただ、逸雄の前には、小さい頃に亡くなった弟がいるとのこと。


幼稚園の頃など、隼雄は母親のそばから離れようとはしない子どもだったらしい。それでも幼稚園の先生が好きになって元気に通うも、先生が結婚によって退職。お別れの日には、泣いてしまったという。

男は泣くものではないというのが当時の常識でしたが、母親は「ほんとうに悲しいときは、男の子でも泣いてかまわないのよ」と慰めてくれたという。


兄弟が自然の中を駆け回る中、隼雄少年は本が好きだった。ただ、当時の価値観では家で本を読む子どもは不健康だということで、本人も気にしていたという。父親からも、ある日、土曜日以外は本を読んではいけないと言われる。

1941年(昭和16年)、地元の鳳鳴中学に入学。長兄 仁から岩波文庫の「坊ちゃん」と「シャーロック・ホームズの冒険」を送られ、夢中になって読む。以後、本を送られたり、紹介されたりした。お気に入りは、「モンテクリスト伯」。あまりに好きすぎて、「モンクリ党」などと からかわれる。文学や短歌、俳句などは好まず、物語が好きだったとのこと。



さて、お父さんの口癖に、このようなものがあったそうです。

「わしは歯医者としての本分を尽くす、子どもは遊ぶのが本分やから遊んだらいい。だから、お父さんが働いているのに自分たちは遊んでいるなんて思う必要はぜんぜんない」

そしてこの精神を、兄弟たちは受け継いだのだそう。





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posted by 南方城太郎 at 14:43 | TrackBack(0) | 河合隼雄 自伝より