2012年07月09日

「Q30 無口になるわけ/こころの子育て」


「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」(朝日新聞社)より。


<若葉のころ――思春期>


Q30 中学生になって急に無口になるのはどうしてですか。

  → 言葉にならないくらいのすごい体験をしているんです。



無口になっているから反抗的になっているというわけではなく、自分の体験していることが言葉にできないということ。

言葉にできないものが自分の中で大きくなってくるので、無口にもなる。

また、きれいなものと汚いもの、その両方が何となく分かってくるので、うまく整理がつかない。


思春期は、子どもから大人に生まれ変わるという意味で、その背後には「死と再生」のモチーフが。

「死ぬほどのこと」と「死ぬこと」が紙一重にあるところも。

鎌倉初期の僧、明恵(みょうえ)上人も、「十三歳にしてすでに老いたり」と言って、自殺しようとしている。


これは言葉にできない体験なので、「分かるように言ってみろ」と聞いても無理だし、理由を探すのも難しい。

なので、言葉では説明がつかないけれど何かたいへんなことはよく分かるといった、そんな関わり方に。

意味を求めすぎないで、触れられたくなさそうなところには踏み込まないといった、距離感が大事。


人間であれ世界であれ、個人であれ社会であれ、古いものが終わって新しくなるといった「生まれ変わり」や「やり直し」が繰り返されるようになっている。

それは理屈ではなくて、むしろ自然な流れなのかもしれない。

そんな節目が、ひとつには10歳頃と思春期に、そして、中年期にある。





蝶でいえば、サナギの時期ですかね。

一度静止状態になって、中では混沌となったり混ぜこぜになりつつ、最終的に成長した姿になる。

メタモルフォーゼというやつですか。


そう考えるとそんなに悪いものではないし、逆に、避けたら避けたで成長に影響しそう。

平易に言えば、「そんなもの」ですかね。誰もが少なからず経験するという意味で。


でも、そうは言っても「たいへん」なわけで、それを理解されないのもつらい。

「よく分からない」「言葉にできない」「どうしていいか分からない」「すごくたいへん」

それを踏まえた上で、「そんなもの」。


そして、すごくたいへんだけど、それを乗り越えたら、だいじょうぶ。




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posted by 南方城太郎 at 18:28 | TrackBack(0) | こころの子育て
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