2012年07月16日

「Q32 親の心と子の心/こころの子育て」

「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」(朝日新聞社)より。


<若葉のころ――思春期>


Q32 同じ苦労を子どもにはさせまいという思いが通じません。

  → 「自分が考える幸福」を押しつけても役に立ちません。



物事の価値は、置かれた状況で変わるようです。

例えば、お腹が空いている時の饅頭(まんじゅう)と、お腹いっぱいの時の饅頭とでは、価値が違ってくる。

店で売っている値段は同じでも、その人が受け取る気持ちは違います。


河合隼雄さんも本の中で紹介されていますが、よくある例だと、苦学した親が子のために参考書をたくさん買ったり、家庭教師をたくさん雇ったりする。

親としたら、「どうだ! いいだろう!」というわけですが、子どもの方にはどうも伝わらなかったりする。場合によっては、やる気をなくしたり、反発することも。


これも、空腹の話と同じです。

苦学した親は、お腹が空いてしょうがなかったのと同じように、勉強に飢えていた。

でも、子どもにしたら、お腹が空いていないというか、すでにお腹いっぱいだったりする。

お腹いっぱいのところで ごはんを出されたら困るように、すでに満たされているところに足されたら、たまらないわけです。

お腹が空いた経験をした親は、「さあ食べろ」と料理を出す。それを続けられた子は、だんだんとウンザリしてくる。

こういった構図です。


こういう時に、「いまの子は恵まれている」と言っても仕方ない。

置かれた状況が違うのです。

今の子は昔ほど、食べ物にも勉強にも、飢えてない。

そして、じゃあすべてに満たされているのかというと、そうでもなさそう。

別の何かに飢えて、欲しがっているのでしょう。


状況が変われば価値も変わるもので、昔の価値が通用しないこともしばしば。

昔、価値があったのは事実。でも、今はそうでないのもまた事実。

両方とも、本当です。


価値観の押しつけや親の自慢話は、一方通行になりがちだという。

でもこの時、言うと共に相手の話を聞いてみると、何か出てくる。

そしてそこには、相手の価値観や気持ちが、隠れているのでしょう。

意外と面白い意見も、出てくるかもしれない。


というわけで、一方的に言うのではなくて、相手も話せる状況を作っておくのがよいと。





これもある意味、時間差の罠(わな)か。

今と昔で、意味が違う。

置かれた環境や状況で、価値が違ってくる。

しかも、人が違うのだから、気持ちも違う。


「わたしはいいと思う」→「だからあなたにもいいに違いない」

こうなると、相手の気持ちがありません。

「わたしはいいと思う」→「あなたはどう思う?」

こう聞くと、相手の気持ちが出てきそうです。


しかし、あれですね。

足りてくるというのも、いいことばかりじゃない。

無いと欲しいと思うし、得るにはどうしたらいいかと工夫したり努力します。

そして、得たらやっぱりうれしい。

そんな喜びが、昔ほど単純じゃなくなっているのかな。


満たし方が、昔とは違ってきてるようです。

ということは、満たされない思いは、やっぱりあると。





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posted by 南方城太郎 at 18:18 | TrackBack(0) | こころの子育て
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