2012年07月19日

「Q33 子が親と反対のことをするわけ/こころの子育て」


「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」(朝日新聞社)より。


<若葉のころ――思春期>


Q33 子どもが親と反対のことをするのはなぜですか。

  → 親の盲点だからです。反抗なしの成長はありません。



子どもはどこか親の盲点になっているところに問題点を探し出してくると、河合隼雄さんは言います。

盲点とは、うっかり気づかずに見落としている事柄。

何かに集中している人、何かに一生懸命な人ほど、盲点はできるものです。

そして子どもは、親のそんな点が関わるところで、問題を起こしてくると。


盲点というくらいだから、親はそれに気づかない。

そもそも見てないわけだから、悪いと思ってないし、問題だとも思ってない。

そんな部分を、子どもはわざわざ探し出す。

ただし、無意識的に、あるいは結果的に、そうなるのですが。

子どもも分かってやっているのではありません。


完全な状態、すべてが足りている状態を、球としましょうか。

でも、人の生き方とか性格というのは、だいたいその片方にしか関わっていません。

マジメな人は、面白味がない。

地道な人は、近道を探そうとしない。

いい加減な人は、堅実さが足りない。

このように、どちらか片方な状態。

そして子どもは、逆の性質の意味に気づいたり、そこにある意外とよい点、今ある性質の問題に気づいたりするという。

身近で、しかも本人じゃないから、ある程度、客観視できるというわけです。


が、しかし、物事はそう簡単じゃない。

河合隼雄さんが言うには、「子どもはだいたい親と同じことをするか、正反対のことをするかで、親よりちょっとだけ変わるというのは、ものすごい難しいんです」ということになります。(P153)

安定するには、完全に拒絶するか、完全に一体化するか、どちらかになりがちだと。

それだけ、安定するのは難しいようです。


この章では、イリーナ・コルシュノウ作の「だれが君を殺したのか」という児童文学が紹介されている。

大ざっぱに書くと、子がある時、親の生き様を鼻で笑うようなことを言います。すると、父親の方が言うのです。俺は確かに理想の父親ではないかもしれない。でも、だからといって、俺を傷つけることはゆるされない。真剣に生きて、考え抜いて、それで決めたことに対し、誰も何も言えないと。

どんな結果であれ、真剣に生き抜いたことには、誰も文句をつけることはできない。

その通りですね。


子どもが親と違ったことをするのは、それはもう理屈じゃなくて、「そんなもの」であるようです。

それぞれの時代で、そんなことが起こっている。

そうなると、親の立場では「世も末だ」と思いがちだけど、いつの時代でもだいたいそうだったわけだし、自分が子どもだった頃のことを考えると、また思うこともあるだろうと。


何にせよ、そうやって世界は回っているようです。





身近なだけに、割とよく見える。

身近なだけに、複雑。

言われる方は、痛いところを突かれる。

あるいは、触れられたくないところに触れられる。

こうなるともう、どちらの立場でも、ややこしそう。


でも、そこには、よい点も。

気づいてなかった点に、気づくことができる。

ただし、それは耳の痛いこと。

他人に言われれば、大ゲンカになります。

縁が切れることだって、あるかもしれません。

でも、逆に考えると、だからこそ、縁を切るわけにはいかない子どもが、その役割を担うのかもしれませんね。


人であれ、家族であれ、世の中であれ、閉塞した壁を突破するには、こういうことも必要なのかな。




だれが君を殺したのか (世界の青春ノベルズ)






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posted by 南方城太郎 at 13:33 | TrackBack(0) | こころの子育て
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