2012年08月06日

「Q37 校則は必要か?/こころの子育て」


「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」(朝日新聞社)より。


<若葉のころ――思春期>


Q37 校則についていろいろ意見がありますが、必要でしょうか。

  → 規則の前に「ひと」が立っていれば、あって賛成です。



規則が問題になるのは、規則の後ろに人間が隠れてしまうから。

それは規則そのものが問題なのではなく、規則を盾にして、人が見えなくなっているから。

人があまりに見えないと、子どもは規則を破ってでも、隠れている人を引き出そうとする。


正しいことばかり言うと、相手が怒れなくなる面も。

そうなると、暴力を振るうしかなくなってしまう。

けれど規則より人が前に出ていると、怒鳴り合うなど、感情をぶつけ合うことができる。

またそれが、解決への道になることも。


ただし、これだけは絶対にゆるさないという一線も必要。

そこだけは越えさせないと覚悟を決め、見せる。

また場合によっては、徹底的に逃げる。

何としても逃げる。

それが、相手を守ることにもなる。(一線を越えさせないという意味で)


子どもは時に、壁を求める。

河合隼雄さん曰く、「壁とは『ここから先は絶対にダメ』ということ」。

このような壁にぶち当たって、子どもは大人になってゆく。


壁がぐらつくと、子どもは不安になる。

また、壁というくらいだから、動かないのが大事。

毅然として立っている。

すると子どもも、どこか安心できる。





規則は基本、人を守るためにあります。

けれど、規則が前に出過ぎてしまうと、はたして人を守っているのかどうか分からなくなる。

また、状況が変われば規則の持つ意味も変わってしまうので、「何のための規則だったか?」と確認し直すのも大切なように思います。


校則は必要か? 規則は必要か?

その是々非々もありますが、人間にも目を向けるべきかもしれませんね。

規則云々はむしろ表面上の問題で、本質はむしろ、その奥にあるのかもしれません。


ひと昔前は「規則ばかりでいいのか?」といった感じでしたが、今の時代「規則に対するルーズさ」が問題になっているように思います。

「ダメなものはダメ」と言える人がいない。

おかげで、一線を越えてしまうケースが多いように思います。それで大事(おおごと)になる。

そこにはどうも、父性の欠如が見え隠れするような気がする。

断固とした姿勢、それが人を踏みとどめさせる面も、もう少し評価されてもいいように思う。

(前時代的な、乱暴な断固とした態度があって、その反動が今出ている面もあるので、この辺は微妙なんですけどね)





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posted by 南方城太郎 at 14:45 | TrackBack(0) | こころの子育て
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