2012年11月05日

「(11) 我慢しているのに勝手だと言われる/こころの処方箋」


河合隼雄 著「こころの処方箋」(新潮社)より。


<己を殺して 他人を殺す>


「克己(こっき)」という言葉があります。

これは自分に打ち勝つこと。人間の中に生じる、感情や欲望、邪念などを抑えつけて、打ち勝つことです。

自分を殺す、己を殺す。

これは日本人の美徳とするところですが、何事も、そればっかりになると、害が出はじめるようです。

偏りすぎて、バランスを失ってしまう。


自分のことは後回しにして、相手の言うことを聞く。

自分を殺して、相手を立てる。

そんな生き方をしてきた人がいました。

その人は子どもの頃、いい子だ、大人しい子だと、褒められたのだという。

おかげで、いい所に就職することもできました。

ところがところが、そこでたった評判は、「勝手な人だ」というものでした。

これは、自分を殺してきたその人にとって、意外な評価だった。

思っていたのと真逆だと言ってもいい。


途方に暮れたその人は、カウンセラーのもとを訪ねました。

結果、いろいろと話をしていて、以下のようなことに自ら気づいたのだという。

これまで自分を殺してきたが、殺し切れるものではなかった。

自分の一部を殺そうとしても、その一部が完全に死ぬことはなく、どこかで蘇ってくる。

というか、ここぞという時に顔を出すような気がする。

ふだんは我慢ばかりしているのに、場が盛り上がったところで、つまらないことを言ってしまったりする。

ふだんは我慢しているのに、忙しい時に限って休んでしまう。

ふだんは我慢しているのに、さあみんなでやろう! という時に限って、いなくなる。

ここぞという時に、ふだん殺している部分が生き返ってきます。

ふっと、我慢がなくなる。

周囲から見れば、それが勝手なことに見えたのです。


よくよく考えてみると、そこには「いつも我慢しているのだから」という思いがありました。

でも、それはいわば自分のルールであって、周囲は知りません。


このような布置は、ある見方をすると、復讐に見えます。

本人は「いつも我慢しているのだから」と思っているけれど、その殺されている部分は「いつも殺されているのだから」とか「いつも抑えつけられているのだから」と、ここぞという時に、仕掛けてくる。

本人が困りそうな時に、顔を出してきます。

しかもそれは、雰囲気を殺したり、相手の好意を無にしたり、困っている誰かを見殺しにしたりと、他人にまで影響を与える。

ある意味では、自分以外も殺しています。


「身勝手」ということを考えた場合、自分の好きに生きすぎれば、身勝手になります。でも、上述のように、自分を殺そうとしても、結果として身勝手になることも多い。

ふだんこの人が自分を殺しているのにしても、それは相手に求められたわけではなく、自分が好きで殺しているのだし。(といっても、空気にそうさせられている場合もありますが)


自分の好きにするだけでもダメ、自分を殺すのだけでもダメ。こうなると、にっちもさっちもいかなくなりますが、実はここに条件があります。

それは、「〜するだけでも」という部分。

実はこれ、○○するのはダメだというのではないんですね。


そこに答えが隠れていそうです。





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posted by 南方城太郎 at 15:05 | TrackBack(0) | こころの処方箋
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